「ウォークマンの生みの親」
「ソニーは本当にダメになった」 ウォークマン生みの親、古巣への叱咤激励「ウォークマンの生みの親」として知られるソニー元取締役で、工業デザイナーの黒木靖夫さんが死去した。古巣のソニーに人一倍愛情を持ち、叱咤激励の言葉を遺していた。
2007年07月17日 18時25分 更新
約600人が参列した黒木さんの通夜=16日、港区南青山の梅窓院観音堂 「ウォークマンの生みの親」として知られるソニー元取締役で、工業デザイナーの黒木靖夫さんが胃がんのため死去した。74歳。「デザイン界の長嶋茂雄」と評される黒木さんは、古巣のソニーに人一倍愛情を持ち、叱咤(しった)激励の言葉を遺していた。
16日夜に都内で営まれた黒木さんの通夜には、幅広い分野から約600人が参列した。
セゾン文化財団理事長の堤清二氏(80)は黒木さんと約30年にわたる付き合いで、ベンチャービジネスを支援する会社を一緒に立ち上げたこともあったという。その堤氏は、「(ソニー創業者の)盛田(昭夫)さんをとても尊敬していた。ソニーのことを心配していたが、最近は達観していたようで、ソニーの現況について『大丈夫です』と話していた」と明かした。
野球評論家の権藤博氏(68)とはテレビ番組での共演で知り合い、九州出身同士とあって年に2、3回酒を飲む仲。「いつも個性的なアイデアを持ち、話していて奥が深い人だった」。同じく野球評論家の衣笠祥雄氏(60)も「明るく、常に前へ前へと進む人だった」。
黒木さんは宮崎県出身で、千葉大工学部卒業後、1960年にソニーに入社。79年発売のウォークマンの開発プロジェクトで陣頭指揮をとった。「SONY」のロゴ作りにも携わり、取締役から子会社社長に転じて93年に退任し、97年までソニー顧問を務めた。
「ミスターウォークマン」の黒木さんと「ミスタージャイアンツ」長嶋氏は共通点が多いと語るのは、黒木さんと親しいデザインディレクターの桐山登士樹氏(54)。「それぞれデザイン界と野球界のスターで、内にこもらない明るい性格だった」と語る。
独立後、富山総合デザインセンター所長に招聘(しょうへい)した中沖豊・前富山県知事(80)は「若い人を育てる意欲を持っていた」。同センターの吉田良広主幹研究員(58)は「古いスポーツカーに乗るなど、おしゃれでさっそうとした人」と振り返る。
黒木さんの娘の三浦有子さん(41)は「若い発想や新奇なアイデアが大好きで新しい橋を見にトルコへ、空港を見にスペインへと出掛けた」と話す。
近年の自信作が、日韓共催の2002年サッカーW杯で機動隊がフーリガン対策として用意したポリカーボネート製の透明な楯。「動きやすいように、ネジ1本にまでこだわってデザインしていた」(桐山氏)という。
幅広く活躍していた黒木さんだが、ソニーへの思いは、強かったようだ。
「『(ソニー創業者の)井深(大)さんや盛田さんならこう判断していたはず。今のトップは冒険をしなくなった』とよく話していた」と桐山氏。「ソニーは本当にダメになった」「創業の精神でソニーらしさを作っていかないとダメだ」と嘆くこともあったという。
ウォークマンを圧倒している米アップル社製の携帯音楽プレーヤー「iPod(アイポッド)」を「『よくできている』と評価していたが、『こうしたらもっと操作性が良くなる』と新たなアイデアを出すのを忘れなかった」(桐山氏)。
闘病生活は4年にわたり、胃を摘出後も入退院を繰り返したが、「がんと共生する」と精力的に後進の指導や講演活動を続けた。日本酒も1日1-2合は飲んでいたという。衣笠祥雄氏の言葉通り、人生の最後まで、明るく、前へ前へと進む人だったようだ。
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